毎日、私たちは多くの決断をしています。例えば、身近な事柄だったら、ご飯のメニューを決めたり考えたりするのも決断の一つ。当然、仕事や人生の大事な場面での大きな決断もあります。
そんな時、決断するのに必要な情報の量次第で、決断の方向性や内容が変わることがあります。
時々、情報量の少なさによって、私の理解が及んでなかったな、と思うことがあります。例えば、人間関係だったら、お付き合いが深くなったり、話を深くしたりしないと、相手のことがきちんとわからないことも多々あります。情報収拾が追いつかないから誤解が生まれることもあります。
後から、
「ああ、こういう気持ちだったのか。」
「こういう経験をしてきたんだ。」
などとわかると、なるほど、何故そういう決断に至ったか理解できます。
昨年から、自分を取り巻く環境の視野が広がりました。同時に、アウェアネスの質が広がってきたのかもしれません。自分という個が上手に鳴りを潜め、その場に溶けるイメージです。同時に怒りの感情が出てくることが少なくなった気もします。情報量の大小に関わらず、情報が不足しているのを前提に、起きてる出来事を静観してる気がします。
よりマインドフルネスが深く根付いたのかもしれません。怒りの感情が少ない日々は、楽な生き方だなと思うこの頃です。