瞑想の不思議

瞑想の実践をすることは、何か特別な自分になるためではなく、むしろ、今の日常からどれだけ気づきを得るかという点にあります。時短とかタイパばかりを追求するのではなくて、晩御飯に食べるゴボウサラダを丁寧に作ってみる、ということが大事なのです。

私たちは、向上心を持って何かを学ぼうとする時、プラスの思考をしがちです。知識を得るだとか、スキルを身につけるだとか、参考書や教科書といった類のものを収集したりします。当然、何かを学ぶわけですから、得らるものにフォーカスします。

しかし、瞑想を数年続けてきた私の感覚からいうと、瞑想はどちらかというと知らず知らずに背負っている

”荷物を下ろすこと”

からスタートすることになります。最初に抱く感覚はマイナスです。

”荷物”というのは、個人によって相違があると思いますが、総じて先入観や固定観念だとか、自分自身の心のプライドや傲慢さ、それに恐れや焦りなどもあるでしょう。日常の忙しさや余裕のないライフスタイルなども含まれるかもしれません。

瞑想の実践は、それらをまず手放しましょう!というので、「何故だ!?おかしいじゃないか!」と反発心を抱く人も最初は少なくないと思います。”荷物を下ろすこと”は、決してマイナスではない、という点を最初は理解するのはとても難しいです。私もそうでしたし、現代社会で良しとされている形からすると、逆行しているようにも思えます。人によっては、綺麗ごとだ!と思う人もいるかもしれません。

しかし、手放すことは捨てることではあるものの、自分の進化が妨げられたり、何かを失うことではないのです。むしろ、手放すからこそ生まれる余白に新しいものが入ってくるのでプラスとも言えます。

人によっては、そのことに気づくまでに時間がかかるかもしれません。特に、高学歴のエリート層だったり、社会的に成功してる人にその傾向があるようにも思います。ただし、謙虚さがある人は別です。素直さがある人は違います。
瞑想は、自分を真っ直ぐ観ることができる謙虚さがないと進まないのです。そんな人として尊敬できる人もたくさんいます。

手放すからこそ見えてくるもの、手放すからこそ進む感覚、それは瞑想の不思議だなと思います。このことを実感として理解し始めると、人生がぐーんと前に進み始めます。瞑想を日常に取り入れることは意義のあることだと私は思います。

一緒に座りませんか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

post date*