”ただ座る”ができない理由

マインドフルネス瞑想は、一瞬、簡単なようで簡単ではない、というのが経験者の感想です。ただ座るだけなのに難しい。そして、ただ座るだけなのに、とてつもなく深い。ただ座るだけなのに、起きていることを一言では説明しきれないくらい大きい。

瞑想は、やればやるほど、深く深くどこまでも深く、そして、実はシンプルであることに気がついてきます。ただ座ればいいのだから。

瞑想をスタートして始めにぶつかる壁の一つ。なかなか座れない、時間が取れない、という人も少なくないのではないでしょうか。座ることが歯磨きをするような感覚で日常になっていくと、問題なく座れるようになるのですが、そこに行くまでが少し大変であることは確かです。だから、最初はちょっと自分に厳しく、ある程度の規律とかルール作りをしていく必要があります。ちゃんと向き合う気合いみたいなものはある程度必要なのです。

瞑想を一緒に練習している生徒さんには、私がそう習ってきたように、「基本、週5日20分頑張って座ってみてください!」といっています。でも、なかなか座れない人もいます。

最初から完璧にできる人はいないでしょうし、もしかしたら、10分しか座れない日もあるかもしれないですし、全く座れない日もあるかもしれない。座れない理由はそれぞれだと思いますが、座れないことこそが心(ここではエゴのこと)の問題によるものだと私は感じます。自分に向き合えない何かがあるのです。

20分のタイマーをかけて、ただ座るだけ。理想とする完璧な形で座る必要はないですし、それは到底無理です。あちこち思考が飛んでいたり、感情が噴き出てきたり、眠くなったり、実際に眠ってしまったりしたとしても、20分間止まらずに最後までやり切ることは、誰でもできるはずです。「完璧に座ってください。」とは言ってません。「ただ座ってください。」と指導しています。私たちが人間である限り、それはできるはずなのです。

マインドフルネス瞑想をしているその20分間は、どんな自分とも一緒にいることです。理想の自分像ばかりを夢見ることはやめて、現実の自分を受け入れることです。現実に起きていることを受け取りましょう。思考がたくさんであれば、その現実をそのまま受け取ること。眠くなったり、眠ってしまったら、その現実を認識して受け取ることです。いつも言っていますが、眠ったからといって「ダメ」なわけではないのです。そこで起こっている現実に、良いも悪いもないのです。ただ、その現実が、今、そこで、起こっているだけです。

マインドフルネス瞑想は、自分と向き合うことをしています。座れない人は、自分と向き合ってない、向き合えないということです。自分と向き合えない人は、自分の良さを否定している、または理解していないとも言えるでしょう。自分に素直じゃないとも言えますし、自分にやさしくない人でもありますし、自分に甘いとも言えるでしょう。そして、何かが起きれば、人のせい(外側のせい)にしていることが多々あるのではないかとも思います。

全ての答えは、自分の内側にあるはずです。だから、座ることをとにかく続けてほしい。

ただ、座るだけ。繰り返し、座るだけです。

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