「利他」ってなんだろう?

私は、ヨガや瞑想以外に易学も学んでいます。瞑想は仏教の勉強でもあるので、私の晩年の人生は古典に触れることが主流の流れになっているみたいです。古典は、生き方や在り方を整えていく学問といいますか、生き方の哲学ですので、人生折り返しの時と言える40代で出会えたことはとても意味のあることだと思っています。

ただ、考えてみれば、突然仏教との出会いは突然かというとそうではないと思います。陰ヨガを学ぶ過程でブータンに2回もいく機会があり、そのうちの1回はタクツァン僧院(Tiger Nest)に行ったりと、本格的にチベット仏教と瞑想を学ぶ前に兆しはあったのかな、と思います。その意味で、ブータンリトリートを開催してくれた陰ヨガを最初に教えてくれた師匠との出会いも必然だったのかなと思います。今ある人生には、過去との繋がりが必ずあるんだなと改めて実感するのでした。

そして、今ある私や私の人生は、自分だけでなくて色々な人が絡み合って創作されているんだなとも感じます。全てのことは連動しています。その意味では自分勝手に生きていくのではなくて、仏教の真髄である「利他」を深く熟考することは、未来を切り開く大事なプロセスであると感じます。

「一度きりの人生だから、”自分”のために生きていきたい。」

という言葉はよく言ったり、聞いたりする言葉だと思いますが、

「一度きりの人生だから、”他者”のために生きていきたい。」

ということと同意語じゃないかと最近思えてきました。。勘違いしてはいけないことは、自分の犠牲の上に他者を益することではありません。自分の輪郭といった狭い領域だけではなく、周りへと視野を広げていくと、利他の意味がどんどん変化していく気がしています。心が成長した”大人”にしか観て感じたり出来ない領域でもあるかな、と思いますので、”大人”の新しい景色を見るためには、それなりの努力も必要かなと感じます。

私はヨガを教えるという仕事をしていますが、ヨガ講師としての自分の在り方を丁寧に育んでいきたいと思っています。そうすることで、未来がまた違った形で開けてくるのかな、とぼんやり思っています。

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