練習をすることの難しさ

Junostlyeの瞑想講座が〈入門コース〉と〈継続コース〉と進んでいます。〈継続コース〉の人たちの中には、瞑想の練習が日常になっている人も多く、積み重ねについては問題がないと思われます。

ただ、一部の方達は練習がなかなかできない、という困難に立ち向かっているみたいです。

いつもお話ししていますが、座った分だけわかってくるのは間違いないです。理解が進みます。ただ、ヨガのポーズほどわかりやすいものではなく、試験勉強やその他の資格試験のように「これだけやれば大丈夫!」的なものもありません。あくまで個人的な道ですし、個々の人がどれだけ向き合い、どれだけ座るかというシンプルな話になります。

「ヨガはやるんだけど。。。」という皆さんのコメントが表すように、瞑想の大切さやどういう果実があるか、といったものを実感しにくいのかな?と思います。私の伝え方があまり上手じゃないのかもしれません(まだまだ未熟ですいません・・m(_ _)m・・)。または、瞑想講座自体は月1回の講座であることから(zoomオンラインや新潟スタジオクラスはありますが)、強制的に座る練習がないことも「座る」を体験してもらう規律が保ちにくいのかもしれません。

ただ、昨日の講座でもお話ししたのですが、「何故、練習ができないか。」と自分に問いかけてみてください。理由は外側にあるのではなく、内側にありますから、よく自分のことを観察してみてください。それも瞑想の一部分です。

ヨガも自分を観察するためのツールであり、その能力を磨く動作ではありますが、身体だけのアプローチでは不足だ、と今の私は断言できます。もし、身体のアプローチだけで自分が丸っとわかると思っている人がいたとしたら(もしかしたら、そういう指導者もいるかもしれないけど。)、それはエゴの強化を高めるだけで、どんどん人としてはダメな方向に行ってしまうと思います。まず、身体の動作を止めて、心を静かにありのままにさせることから、心の筋トレは始まります。

それから、瞑想のプラクティスしていると、思考がたくさん出てきて不快に感じる人もいるかもしれません。理想の練習なんてないですし(それを知ることから始まるのかもしれませんね!)、とにかく、落ち着きのない自分を知ること、まっすぐ受け取ることから始まるのが瞑想の道です。病を治すのに病そのものの存在や特質を掴む必要があるのと同じです。健康な状態ばかりを夢見て、現実を直視しないのでは始まらないのです。

確かに、最初は、そんな自分を受け取ることや許すことがしずらいかもしれません。特に、プライドが高い性格の人は顕著にその傾向が現れると感じます。(私かも?笑。)でも、そのプライドが成長を妨げますし、そこはユーモアセンスで笑い飛ばして進むのがいいでしょう。完璧な人間なんていないですから。いるとしたら、いち早く自分のダメなところを受け取ることができた人でしょう。それが100%できたら完璧だ!とひとまず言えると思います。

練習するのが難しい人は、考えぎかもしれません。シンプルにただ座るだけ。折角、時間とお金を使って講座に参加しているのだから、ただ座るを実行してみましょう。たった1日20分です。コーヒーを飲みながらスコーンを楽しむ20分と同じです。テレビを見ていたり、ネットサーフィンしていたらすぐに経過する20分、何故、ただ座るだけの行為ができないのか、よく考えてみましょう。

変われる人、変われない人の分かれ道ではないかと感じます。どれだけシンプルになれるかどうか。

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